不寛容社会到来…赤ちゃん連れてたら公共交通機関を使っちゃダメなの?
最近ちょっと気になるニュースがあるんだよね…
なになに、どーしたの?
赤ちゃん連れだとバスの乗車拒否を受けたりというニュースを見て…
あー、それね。不寛容な社会になっちゃったよね。
ちょっと嫌なニュースが入ってきました。それは赤ちゃんをベビーカーに乗せたお母さんがバスに「乗車拒否」をされたという報道。赤ちゃんも一人の人間なのでバスに乗る権利はあります。また不自由なのでベビーカーに乗らなくてはなりません。それを拒否とは…。
もちろんバス運転手の方にも言い分があるのでしょうが、守ってあげなければならない弱者は排除すればいいという考えには賛同できません。
このような不寛容社会のニュース及び、なぜこのような社会に成り下がってしまったのかなどについて掘り下げてブログを書いていこうと思います。皆さんもぜひ一緒に考えてみてください。
今回の記事でわかること
- このところ多い赤ちゃんを連れている方への不寛容な対応アレコレ
- その他、不寛容社会としてあること
- 不寛容社会はなぜ引き起こされるのか
- 欧米ではどのような対応がなされているの?
- なぜ人は助け合わなくなってしまったのか
このところ多くなっている赤ちゃん連れへの不寛容なニュース
順番にどのようなニュースなのか説明しますね。
①大山加奈さん「双子ベビーカー乗車拒否」投稿 乗務員のワンオペに限界? 都営バスの見解は
女子バレーボール解説者の大山加奈子さんが双子の赤ちゃんを、双子用のベビーカーに乗せて都バスに乗車しようとしたところ、扉が開かなかったという。更に次のバスに乗車しようとしたところ、乗務員の助けはなかったという訴えをなさりました。それに対して都バス側は2人乗りのベビーカーで乗車の際は、通常とは異なる運転席側の方に移動して乗車の意思を示してほしいというアナウンスを発表しています。この2人の利用のベビーカーの乗車方法が周知されていないという問題定義がなされているというニュースでした。
②大山加奈が訴えた“双子用ベビーカー乗車拒否”に賛否真っ二つ「無謀すぎ」「当たり前に乗車できる環境に」
①のバスにどうにか苦労して乗り込んだものの運転手さんは全く手伝ってくれなかったという。更に降りる時も段差があるので苦労したものの、やはり運転手さんは手伝ってくれなかったということ。この大山さんのネットの書き込みに2人乗りのベビーカーで乗り込もうとするのは無謀…という書き込みが多数。でも、都バスでは2021年5月に2人乗り用のベビーカーでの乗車は解禁されています。バスの運転手に周知されていないのかな?という印象です。
③「手伝ってもらう前提で行動するな」大山加奈さん 多数批判に困惑 ベビーカー乗車拒否告白で
手伝ってもらう前提で行動するなという声が多数きていて…それ以外にも心ないコメントに心がやられそうでSNS開くのも勇気がいる状況
「手伝ってもらう前提で行動するな」大山加奈さん 多数批判に困惑 ベビーカー乗車拒否告白で
①の乗車拒否+乗車はできたけど運転手が手伝ってくれなかったことについて、以上のように吐露しています。生活する上で2人乗りベビーカーを使うことが社会から「迷惑」と捉えられていることが悲しいという内容となっています。
④立民・蓮舫氏、大山加奈さんの双子ベビーカー巡る訴えに「多胎児育児にご理解をお願いします」
大山さんのニュースに対して立憲民主党蓮舫氏が多胎児育児にご理解を申し上げますというコメントを発表しました。おんぶや抱っこをせよという声もありますが、赤ちゃんが大きくなるにつれ10キロを超える子供2人を抱えるのは無理。なので社会全体で協力してあげようと訴えました。
全て元女子バレーボール代表の大山加奈子さんのインスタグラムへの訴えが元で作成されているネットニュースです。このニュースがコレだけ話題になっているということはそれだけ社会的な関心度が高いということです。
社会的には認めてあげて欲しいという訴えがあるものの、個人的な感情としては「面倒だから他に行ってくれ」という葛藤があるような気がします。
更に、赤ちゃんや子供に関する不寛容なニュースはたくさんある
順番にニュースを説明していきましょう。
①電車ベビーカー論争に終止符? ツイッター「子連れはハズレ」発言にみる、現代の病理とその抜本的対策
昔、電車ではベビーカーの使用は禁止でした。他の乗客からの苦情が原因。声が小さい人の声はかき消され、大きい一般の人からの声が採用されていたということになります。それが徐々に改善され、今では許容されるようになったものの、今でも子連れの乗客に対して苦情を発する人が多いようです。いつになったらこの問題は解消するのか…という内容となっています。
②「赤ん坊の泣き声がうるせえんだよ!!」交通機関で詰め寄られた母子。まさかの強過ぎる返しに「このくらいでいい」と53万の大反響
赤ちゃん連れのお母さんが電車に乗っていた時に赤ちゃんが泣きだしました。これに対して目の前に立っていた男性が「うるせえんだよ」と言い放ちました。それに対してお母さんは「うるさいのはお前。赤ちゃんを黙らせる方法はあやすしかないが、お前を黙らせる方法はいくらでもある」と言い返したところ男性は黙ってしまったということです。このやり取りにネットから大反響があったという内容です。
③子供の泣き声で苦情の手紙…「集合住宅」トレンド入りし賛否「赤ちゃんが泣くことは仕方ない」「配慮は必要」
集合住宅に住むユーザーが、子供の泣き声で苦情の手紙が来たという投稿が発端となりツイッター上で議論が巻き起こっているというニュースです。多少の生活音はしょうがない、特に赤ちゃんは好きで泣いている訳ではないという意見から、赤ちゃんの泣き声は高音なので我慢できないなどの意見までいろいろな意見があるといいます。
④公園で遊ぶ子どもに『うるさい』と苦情… 「頭おかしい」と本田圭佑が嘆き 「あなたも迷惑ばっかかけてた、やかましい子供やったでしょう?」
公園で子供が遊んでいると「うるさい」という苦情が来ることが多いようです。これに対して本田圭佑さんがその苦情に対して「頭おかしい」「あなたも迷惑ばっかかけてた、やかましい子供やったでしょう?」と不満を投げかけました。
⑤保育園は迷惑施設なのでしょうか、保育園問題を通して改めて騒音トラブルを考えます
保育園が近くに建設されたら迷惑ですか?という問いに対して約9割の方が迷惑と回答。その理由に騒音を挙げています。静かで平穏な生活を送りたい…と思うのは当然のことですが、迷惑施設と捉えるのは不寛容社会であり節度と寛容とコミュニケーションが必要なのではないかという訴えのニュースとなります。
この子供に対する不寛容な社会の是非
子供はうるさい、ベビーカーは邪魔、だから排除すればいいという意見は決して容認できるものではありません。確かに言いたいことは分かります。新幹線の中でずっと子供が泣いていたらうるさくて寝てもいられません。できれば、誰もいない通路にでもいってあやし、泣き止んでから座席に戻ってもらいたいと思うのが普通です。
しかし、当事者の気持ちはどうでしょうか。赤ちゃんがずっと泣いているならばずっと誰もいない通路に立っていなければならないのでしょうか。赤ちゃんが泣くというのは不可抗力です。どうすることもできません。ならば、喘息で咳がでる方や鼻炎の方も通路に行くべきなのでしょうか。
不可抗力は許容する弱い人は守るというのが社会です。これらを全て排除するのは社会を住みにくい場所にしてしまいます。困っている人と助けることは、自分が困っている時に誰かが助けてくれることを意味します。
昔、用がなくなった高齢者を姥捨て山に捨てるといった時代がありましたが、自分にとって必要ないものは排除するという考え方はこのような状況を作り出します。下手したら仕事をしない若者も同じように排除されるかもしれません。
助け合う社会が安心感を生む
困っている人がいても助けない。ビジネスは自分の会社以外全て敵。自分だけ儲かればいい。などの考え方が社会にはびこると殺伐としてしまい安心して生活できません。例えばディーラーにオイル交換に行ったとします。その時、個人的な利益だけを考えて行動する担当に当たると、金額を割増しされるかもしれません。また、安いオイルを入れられる可能性もあります。
しかし、助け合う社会だと、弱者を助けてあげようとしたり、常にwinwinを考えて行動するようになるので、安心して生活できるようになります。先ほどのオイル交換に対しても、お客様の利益を考えるようになるので、特に警戒しなくても安心できる料金と質のいいオイルを提供してくれます。
一見、不寛容社会と何の関係もないようですが、密接に関係しており、子供や高齢者など「弱い立場の人」に対して自らの利益を優先して排除しようとする意識が定着してしまうと、自分の利益ばかり優先するようになってしまい、結果、安心することができない殺伐とした社会環境となってしまいます。
昔は無知が不寛容の原因だった
✅昔の信じられない社会のルール
- 電車の中で喫煙OK
- 乳母車を電車やバスに乗せることは禁止
- タクシーは乱暴運転が当たり前
- 部活中に水を飲んではいけない
- 教育現場では暴力が当たり前
- 電車のトイレは線路に垂れ流し
- 犬の排せつ物が道端によく落ちていた
- ペットの犬は基本的に外飼い
これらは無知から来ています。身勝手な個人的意見から他の人の迷惑を考える必要がないという結論に達して、それを社会が何となく黙認していたということでしょう。
今のようにSNSがないので、個人の声は世間の常識(非常識なことが常識になっていたことも)にかき消されてしまっていました。正式には何度もやめるべきという声が上がっていたものの、惰性や強引な考えによって捻じ曲げられていたという感じです。
多くは無知で考えることなく自分だけが決めたルールだけで決められていました。人間はよく間違います。自分に都合がよいように解釈して納得していることが多々あります。それを周囲の人によって改善されるのですが、今のように多くの声が一気に届くということがなく、少数の人の声しか届かなかったことにより、間違った思想がいつまでも残っていたのでしょう。
しかし、今はSNSにより多くの声が社会を丸くしてくれている
悪いものは悪い!個人による発言力が社会に影響力を及ぼすようになりました。その力は強大であり、総理大臣の思考をも動かすほどになっています。昔はデモによって社会に対して訴えるという形でしたが、今はSNSによって様々なものが動きます。
これにより、例えば教師による暴力などが起ころうものなら、すぐに糾弾されて暴力をふるった教師及び学校の責任が問われるようになりました。
また、ちょっと前になりますが、政治家がコロナ禍にもかかわらず会食したことも大いに叩かれました。以前だったら煙に巻いて何事もなかったかのように政治活動をしていたようなことも、このように責任を取らされるようにもなりました。
このSNSの声によって社会は丸くなり、先ほど説明した「無知による信じられないルール」は減りました。一見して暮らしやすくなったと思えるようになりました。
これにより不寛容社会も改善しそう
これにより、例えば電車内に2人乗り用のベビーカーを持ち込むのが許可され、社会的にも認知されつつある、という方向に進んでいます。
公共機関などで子供が泣いている場合にも、昔は嫌悪感を示す方が多く赤ちゃんを抱くお母さんは肩身の狭い思いをしていたことが多かったのですが、その辺の理解もSNSの力で段々と改善しているような気がします。
とはいっても、冒頭のニュースがあるようにまだまだな感じもしますが。
これから先、更に弱い人を守る的な社会になっていったらなと思いますね。
一方で個人の発言力が強まることによって不寛容になることも
SNSの普及によって個人の声が大きくなりました。それにより先ほど説明したように間違いが是正され、不寛容社会も改善されるようになってきましたが、一方で「ちょっとした間違いも許さない!」という、違う意味でも不寛容社会が出来上がってもいます。
✅現代の不寛容社会と思われる例
- 救急車の乗務員がコンビニで飲み物を買うという行動を糾弾
- 宮迫博之 牛宮城新メニューの価格が高いと炎上
- 新幹線でお弁当を食べているだけで炎上
- 体臭がちょっと臭いというだけで罪人扱い
- ちょっときつい言葉を使っただけでハラスメント
- ウレタンマスクを使うのは意味がない
一方で以上のような「個人的な意見」が増加して、時に炎上に繋がるケースもあります。要するに、正しいことでもないのに、もっともらしい意見がSNSでたくさんのいいねを集めて炎上するというケースです。
救急車の乗務員がコンビニで飲み物を買うに関しては議論を呼びましたよね。業務中にコンビニに寄ってさぼるとは何事か!という意見に対して賛同する人がたくさんいた一方、救急車の乗務員さんだって飲み物くらい買うよという意見もあり議論となっていました。
これはよく考えれば「買い物するくらい全く問題ない」ということがわかるものですが、正義感が強すぎる方からすると、税金で働いているのに勤務中にコンビニはけしからん!となるのでしょう。個人的には全く問題ないと思います。
とはいえ、間違っている意見は淘汰される
「悪が栄えた試しなし」という言葉がありますが、間違っていることが肯定され続けるということはまずありません。昔のように情報が拡散されない時代ならばまだしも、今のように全世界から情報が集まってくるような時代に、間違ったことがいつまでも残り続けることはありません。もちろん、今のコロナやワクチン騒動のように情報があやふやな場合は様々な情報が氾濫することもあります。
以上のような理由により、社会全体がいい方向にいくのでは?と思います。しかし、ネットによって善悪の裁きがすぐにつくような状況というのは、一方で「息苦しさ」を助長することでもあります。何事もバランスが大事なのかなと思いますね。
政治家の失言には特に厳しくなっている
政治家の失言には特に厳しくなっているな…という印象を持っています。これは国を動かしている大事な人々の言葉なので、当たり前といえば当たり前といえますが、失言の多くは「脳の老化」によるものだと思われるので、もうちょっと寛容になってもいいのかなと思うことがあります。
脳の老化だからしょうがないよ…と申し上げると、そんな脳の機能が低下している人を政治家なんかにするんじゃない!という意見が聞こえてきます。それも一理あります。
では、頭の回転がよく失言をしない若者を政治家にすればいいのか、ということですが、若者は経験が足りないことがあったり、感情を抑制できない(若いので感情のブレーキが効かないほど昂ってしまうことがある)ことや、年を重ねている方が説得力がある(権威があるので)ことなどがあることから、やはりある程度年齢を重ねている方がいいのかなと思います。
特に結論はありませんが、失言に対して直すように言うのは当然ですが、辞任まで追い込むのはちょっと違うのかなと思います(もちろん、失言の質によりますが)。
欧米ではどのような感じなのか
以上の不寛容社会の問題は欧米ではどのような状況なのでしょうか。
まず、子供や高齢者は徹底的に守られている
日本ではバスに乗るときベビーカーは必ずしもたたまなくてもよ、ということにはなっていますが、実際のところはまだまだその考え方は浸透していません。冒頭に紹介した大山さんがバスに無視されたというエピソードがそれを物語っていますし、このニュースに対する大山さんへの否定的なコメントも同じですね。
しかし、欧米では逆のようです。イギリスでは車椅子とベビーカースペースがあり、フランスも後ろのドアから乗って決められたスペースにベビーカーを置くという習慣があります。バルセロナの市バスは、折りたためるベビーカーは折りたたみ、折りたためない場合は、車椅子のスペースが空いていればそこに停める決まりになっています。イタリアではほとんどの街の公共交通機関で、車椅子やベビーカーを使用している方用のスペースが設けられていています。アメリカでしは公共機関での移動が多い人はコンパクトなタイプをはじめから選ぶようにカテゴリー分けされているということです。
このように、日本よりは弱者にやさしい社会なようです。特に人々に「福祉のこころ」が根付いており、女性や子供、妊婦さん、高齢者に優しく接する社会が当たり前となっているようです。この辺は日本も見習いたいですね。
SNSによる不寛容及び誹謗中傷などに関しては日本と変わらない模様
SNS上での誹謗中傷やデマなどの問題はアメリカ国内でも深刻となっており、2020年5月28日、当時のトランプ大統領はSNSの規制強化に向けた大統領令に署名しています。
ドイツでは難民の増加に伴う難民に対するSNS上のヘイトスピーチや偽情報等への対策として、ネットワーク執行法が成立。フランスではインターネット上におけるヘイト等の違法コンテンツの削除をオンライン・プラットフォーム事業者に義務付けること等を内容とする法律が成立するなど、問題を解決するための法整備が進んでいます。
つまり、法整備しないといけないほど他人を攻撃するような発言が多くなっているということを意味します。
諸外国が日本と異なるのは幸福度
日本は国内総生産、社会的支援、出生時の平均健康寿命などがトップクラスなのに関わらず幸福度が世界で58位と低くなっています。その理由の一つとして「他者に厳しい」ことだといわれています
これは先ほど書いた不寛容と同じ要因になります。先ほど違和感を感じた方もいたかと思いますが、諸外国の場合はどちらかというと不寛容というよりも、ヘイトや不平不満、フェイクニュースなどが多い傾向があります。
一方で日本はというと、圧倒的に有名人や他人の行動、ニュースへの不平不満が多いという印象を受けます。要するに、自分の意見に反するものは徹底的に糾弾するという感じです。ゆたぼん少年のニュースにしても、もしアメリカならばポジティブに受け取られるのかな?と思いますが、日本では圧倒的に否定派の方が多いという印象を受けます。
なぜ人々は助け合わなくなってしまったのか
人々はなぜ足を引っ張り合うのでしょうか。なぜ弱い人を助けてあげないのでしょうか。
もちろん、ご紹介したように声が大きくなればなるほど、よくない独りよがりな意見は少数派となり、いい方向には向かいますが、一方でちょっとしたことでも糾弾して注意するという不寛容な社会になっているという側面もあります。
要するに、悪いことや曲がったことが許されない時代になったということになります。
常識に合わないことをしたら叩かれる
どうも人は常識に反したことをしていると叩くという性質があるようです。それが匿名の状態であるとエスカレートします。実際に、日常生活では言いたくても言えないようなことでも、匿名となっているネットだと発言することができる、という人が多いのではないでしょうか。特に引っ込み思案の日本人はこの傾向が強いようです。
SNSの台頭はまさにこの日本人の「言いたいけど言えない」というジレンマを解消したツールと言っていいでしょう。特にTwitterやヤフコメはそのはけ口となっており、多くの「常識に合わないこと叩き」が行われています。
もちろん、肯定や助け合いも行われている
これは当たり前ですが、SNSは足の引っ張り合いや常識から外れている人の非難ばかり行われている場ではありません。もちろん、良いことは称え、落ち込んでいる人は支え、励ますなども行われています。
いろいろな人がいて、いろいろな感情があり、いろいろな対応が渦巻いているということですね。個々、自分に合う使い方をしていけばいいのではないでしょうか。ちなみに私はネガティブなことばかり発信している方はミュートしています。
実際の世界も同じで常識から外れているのを嫌う時代に
私には中学生と小学生の子供がいるのですが、子供たちのファッションを見ていると個性よりもみんなと同じを重要視しているように思います。車なども昔は目だってなんぼ系が多かった気がしますが、今は純正のまま乗っている方が大半です。
このように目立つのが嫌…という風潮が強くなっている気がします。ファッションなどもユニクロやGUなどの当たり障りのないものを身に着け、髪形も奇抜なものや色ではなく無難なものが好まれる時代。
何もかも常識の範囲内に収まっている、というのが今の社会の暗黙のルールになっているようです。
社会は安定、成熟すると足を引っ張り合うという側面も
当然のルールとして、その国に暮らす国民は、例えば戦争などで混沌としている時は一致団結して敵を倒そうとします。一方、国が安定していて、更に裕福で成熟している時は、外敵がいないので仲間割れするという性質があります。
今は昔と違い誰もが裕福ですし、中国リスクがあるものの、即脅威となる敵国などはありません。なので、味方の中に敵を作り小さな仲間意識を高めてしまうという状況となっています。
いじめなどもその縮図ですね。よほどクラスがしっかりまとまらない限り、小さな集団に分かれて衝突が起き、その衝突のしわ寄せがいじめとなって出てきます。
一番フレンドリーなおばちゃんとの触れあい減少
人生にこなれて一番フレンドリーな人は50歳以上のおばちゃんです。おばちゃんと絡んでいると楽観的となり、心身がリラックス傾向となりますが、今は核家族なのでおばちゃんと絡むチャンスがあまりありません。
特に子供たちは孤独です。親は両方とも仕事をしていて忙しい。外は危ないし、子供が遊べる公園なども減少。自宅で一人でゲーム、スマホをいじるなどで学校のことなどを相談できる相手がいません。また、癒してくれる人もいないという現状。相手にピッタリなのがあばあちゃんですが核家族なので接することができません。
以上、人々が助け合わなくなってしまった理由となります。もちろん、全く助け合わないということではありません。今でも温かい助け合いのシーンは数多くあります。そのようなシーンはあるものの、SNSやニュースのコメントなど「匿名」でコメントできるものに関しては、誹謗中傷や非難などが相次いでいて不寛容になっているのが見受けられます。また、公園で遊んでいる子供や保育園などで遊んでいる子供の声がうるさい、電車にはベビーカーを乗せるななどの自分勝手で弱者を排除するような意見も目立ちます。
このような意見は本来あったものがSNSなどによって顕在化されたのかもしれませんが、それを含めても不機嫌な人が多いな…という印象を受けます。
人類が誕生してから20万年。進化の途中なのか成熟しているのか
人類が誕生してから20万年が経過しています。20万年と聞くとものすごい長さ…に感じますね。でも、ほ乳類の誕生は2億3000万年前、地球の誕生は46億年前と考えると、何となくまだ日は浅い?地球上の生物にとっては新参者?と捉えられなくもないですね。
20万年も経過していれば社会も生活も思考も全て成熟しているように感じますよね。でも、20万年も経過して初めてSNSによって自分の声を思いっきり忖度せずに言えるようになり、更に他人の真の声も聞こえるようになってきたということもいえます。
だって今まで周囲の人も大体自分と同じこと考えていると思っていませんでした?多少違う意見もあると思いますが、大体、想像の範囲内で話し合えば分かり合えると思っていました(もちろん犯罪者など特殊な思考の方がいることも感じていましたが)。
しかし、SNSが普及してどうですか?地震は人工地震と信じている人がいるし、ワクチンにはマイクロチップが混入されている、安倍総理は国によって葬られたなどのことを本気で信じている方がいるのには驚きました。また、ロシアのウクライナ侵攻のニュースに関しても、ロシアを支持する人もいます。
このように成熟しているとはいえ、インターネットなど新しい文化が生まれることによって更なる劇的な変化を遂げるのでは?と思います。
なので生活や思考が今のまま安定するということはないと思います。もちろん、優しさなどの本質は変わりませんが、新しい常識などが生まれ、今の常識が過去のものとなるのは間違いありません。
最後に、やっぱり大事になるのが「身近な人を大事にすること」
人間って一人で生きていけるとかいいますが、やっぱり人間が一緒にいた方が楽しいし、健康にも役立ちますよね。孤独を感じる人は、正常な人と比べて死亡率が1.3~2.8倍、心疾患が1.3倍、アルツハイマー病のリスクが2.1倍、認知機能の衰えが1.2倍高まるという科学的データもあります。それだけ、孤独は人類の生活に合っていないことであるといえます。
なので誰かと一緒に生活するのが大事になります。
一緒に生活する際に考えるべきなのが「仲良くするにはどうすればいいか」ということ。先ほど人それぞれ全く考えていることが違うと申し上げました。これはSNS(Twitterなど)をやっていれば分かることです。そして、SNS気分で実際の生活でも言いたいことをわがまま放題言っていたらどうなるでしょうか。
もちろんうまくいきません。皆が考えていることが違う、そこをうまくすり合わせる、黙認する、耐えることによって一緒に生活していきます。そして、もちろん逆もあります。一緒にいることによって癒され、安心感がある、そして楽しみは倍増するなど。いいこととよくない事がミックスされているのが共同生活です。
もちろん、健康に対してもそうですし、私自身も家族と一緒に生活した方がいいと思っています。そのためにはお互いを尊重して相手を大事にする、仲良く生活していく、というちょっとしたルールが必要になります。
円滑な共同生活を営む上で大事なことがもう一つあります。それは「相手に見返りを期待しないこと」。私はしているのに相手はしてくれていないといった不平不満を抱いてしまうと共同生活は破綻します。人間関係は基本的に鏡です。見返りを求めずに与え、そして愛するということをしていれば自然と返ってきます。でもそれを期待し、ないと怒りを覚えて与えるのをやめるという打算的な行動をとってしまうと待ち受けているのは破綻です。見返りを求めずに与え続けること、一緒に楽しみや悲しみを分かち合うこと、相手は自分と違う思考を持っていることを尊重すること、これをしっかりマイルールとして施行していくようにしましょう。
↑2つともめっちゃ良書です。家族との生活で悩んでいる方はぜひ読んでみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。当ブログには他にもいろいろな記事がございますのでぜひゆっくりしていってください。
ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、下のバナーのクリックをお願い致します。
住まいランキング
にほんブログ村
関連記事
「少年革命家」ユーチューバー・ゆたぼんのニュースにはなぜアンチコメントが多いのか
2~3年前からメディアがニュースとして取り上げるようになってきた少年革命家ゆたぼん。このゆたぼん少年に対してアンチコメントが寄せられています。なぜそのようなコメントが多いのかについて調べてみました。
「意外と深い、接客業者が感じる人間模様や好き嫌い」についてご紹介していこうと思います。 とはいえ、あくまでも私個人の意見なので、接客業者すべての総意ではないことを付け加えます。
人生に迷っている、もう疲れた、行き詰まりを感じているなどがある方に役立つ本をご紹介します。人生には大きく分けると、成功している方と失敗している方とに別れます。この理由を知っているのと知っていないのとでは大きな違いが出てきます。
今回は、上手に話をすすめる方法ではなく、「これだけはやっちゃダメ」という「人を不快にさせる話し方」についてご紹介します。最低限、これだけはやっちゃダメということを理解するだけで、相手を不快にさせることがなくなります。